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-私の臨床研究の軌跡-

(公益財団法人)冲中記念成人病研究所

代表理事  村勢 敏郎

  東京大学を卒業したのは1964年、東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が開通した年であるから、半世紀以上も前のことになる。

1.インターン時代、研究の始まり

  われわれの時代には、卒業後1年間の臨床修練(インターン)が課せられていた。比較的時間に余裕のある科をローテート中に、薬理学教室に通うようになり、そこで曽我部博文先生(故・自治医科大学薬理学教授) に出会った。その折の研究のテーマは、ウナギのRenin & euryhalinity-ウナギが海水と淡水とを行き来する際に電解質環境の変化に適応する機構-に関するものであり、発想の面白さと研究の楽しさを知った最初の経験であった (この仕事は、Nature 212: 952, 1966に掲載された)。

2.低血糖発作の患者さんとの出会い

  1965年に東京大学第3内科教室に入局し、臨床医としての道を歩き始めた。最初に受け持った症例は低血糖発作の患者さんで、初発症状が出てから確定診断に至るまでに10年以上の歳月を要した患者さんであった。当時は、血中インスリン濃度は横隔膜を使ったbioassayによってInsulin-like activity として測定されていた時代であり、Immunoassayがやっと試験的に検討され始めた頃のことであった。この患者さんは、最終的には、開腹手術でインスリノーマが見つかったのであるが、その症例報告の考察の中で、私は、"診断をまぎらわしくしたもの-検査データの評価について-"の見出しの下で、いささかの批判を込めて、以下のような記述をしている。「空腹時血中Immuno-insulin値は確かに低血糖時においても著しく高値ではなかったが、当教室における正常例…と比較すると有意に高い値を示すことが後になって確かめられた…」(内科、1967)。インスリンの免疫測定がまだ試験段階であることも知らなかった研修医の未熟さ故の論考であったが、当時オーベンの糖尿病を専門とする先生は何もおっしゃらずに、ただ黙っておられた。今読み返すと冷や汗がでてくる思いである。

3.尿崩症の研究

  Diabetesの研究は、私の場合は、同じDiabetesでも insipidusから始まった。研修期間を終えて、臨床研究の専門グループを選択するに当たって、水・電解質、尿崩症研究の第一人者である吉田 尚先生 (故:自治医科大学及び千葉大学名誉教授) の研究室に入れて頂いた。ADHの分泌調節機序が研究テーマであったが、先生と差し向いで何時間も動物実験をした頃のことは忘れられない。臨床教室における研究の在り方を最初に教えて頂いた恩師である。この頃、尿崩症の治療にSU剤のchlorpropamideが使用されていたが、この薬剤がADHの感受性を高めるのではないかとの仮説のもとに、患者さんにこの薬剤の静注試験を行ったことがある。この薬剤は、本来、糖尿病の治療薬であって、低血糖を起こす危険性がある。恐る恐る静注した時の緊張感は今でも忘れられない (この結果はJCEM 36: 174, 1973に掲載された)。

4.糖原病の研究

  吉田先生が新設の自治医科大学に赴任なさって、研究室に一人残ることにした私は、その頃糖原病が疑われる患者さんを受け持つことになった。第3内科教室には糖原病の患者さんを診たことのある医師は誰もおらず、臨床カンファランスの席上では、「糖代謝に関連する病気があるとはとても思えない」と言った発言まであり、結局"それを証明して見せよ"ということになったのである。しかし、当時、この疾患をきちんと診断できる施設はほとんどなく、1年以上の期間をかけてあちらこちらの先生にアドバイスを頂きながら、診断を確定して症例報告にまでこぎつけることが出来た(この仕事はJ Neurol Sci 20: 287, 1973に報告した)。異常グリコーゲンの構造解析にNMRを取り入れたのも、この頃にしては先駆的であったと思う。この研究に、誰よりも協力的だったのは、患者さん自身であり、その後35年の長きに亘り私の外来に通ってこられた。

5.外国留学:脂質代謝の研究へと方向転換

  1973年に、カナダ・トロント大学のG. Steiner先生の研究室に留学して中性脂肪を中心とした脂質研究の手ほどきを受けることになった。水代謝から脂質代謝への転換である。インスリン発見の地で"The Discovery of Insulin 1921"の記念碑を見ながら研究所に通ったこと、晩年のBest先生にお目にかかることが出来たことなどは、エキサイティングな経験であった。

6.東京大学第3内科での研究

  1975年に2年間の留学生活を終えて、大学に戻ってきた。さて何を始めようかと考えていたちょうどその矢先に入院してきた患者さんが、私のその後の臨床と研究の方向性を決める契機になったのはなんとも不思議な巡り合わせである。この患者さんは先端巨大症で糖尿病を合併し、血清中性脂肪値が6000mg/dlを超え、血液はクリーム状に白濁していて受持医を驚かせた。血液中の脂肪分解酵素リパーゼ活性を測定すると異常に低い値であった。当時はまだ、リポ蛋白リパーゼ(LPL)と肝性リパーゼ(HL)との区別がつかない時代であり、そこで両者を分別して測定してみようと思い立って仕事を始めたのである。開発に3~4年の年月を要し、1980年にこれら2つの酵素の分別測定法を確立した(この仕事はMetabolism 29, 666, 1980に掲載された)。その開発のためには田中邦美さん(元・金沢市保健所長)と研究助手として勤務して頂いていた石川愛子さんの貢献が大であった。この方法は、その後、広く高中性脂肪血症の臨床研究に使われ、とくにLPL欠損症十数例の診断に大いに役立った(これらの症例はJ Clin Invest 88: 1856, 1991; Atherosclerosis 144: 443, 1999. などなどに報告した.)。

  最初一人で始めた研究室に、若い人たちが次々に加わって大きくなったことは、何にもまして嬉しいことであった。先ず、1978年に山田信博君(元・筑波大学学長)が入り、しばらく二人三脚での研究が続いた。その後、高橋慶一君(高橋医院、新潟)とPhDの森夏子さん、留学から帰国後の川上正舒君(元・自治医科大学さいたま医療センター長)が加わり、1984年に石橋俊君(現・自治医科大学教授)、それから島野仁君(現・筑波大学教授)、後藤田貴也君(現・杏林大学教授)と続いて参加し、研究室は大いに充実した。その矢先、私は当時の虎の門病院院長・小坂樹徳先生からご指名をうけ、研究室のその後を山田君に託して、1987年に虎の門病院に赴任することになった。

7.虎の門病院に赴任して

  赴任当初は、大学の延長のように研究も続けた。堤一彦氏 (当時、大塚製薬工場栄養研究所) と共同で、LPL活性化物質の開発に取り組んだことは懐かしい想い出である(この研究はJ Clin Invest 92: 411,   1993, Diabetes 44: 414, 1995等に掲載された)。病院では、勿論、臨床が主体であり、小生の糖尿病の臨床の仕事は、ここで本格的に始まったのであった。臨床経験豊かな小林哲郎君 (現・冲中記念成人病研究所所長) からは、特に1型糖尿病について多くのことを学ぶことが出来た。脂質異常症については、大久保実君 (現・虎の門病院内分泌代謝科医長) がLPL欠損症をはじめとして、LCATやapoCII欠損症、apoE異常症など、数多くの疾患について遺伝子異常を同定して論文とした。更に糖原病については諸外国から多数の症例が集まってきて、彼がこの分野の第一人者として認められるまでになったのはとても喜ばしいことである。因みに、前述の糖原病の患者さんは糖原病III型で遺伝子異常が明らかにされた世界最初の症例となった(BBRC 224: 493, 1996に報告)。この他にも、虎の門病院では多くの患者さんに出会って臨床的にも多くのことを学ぶことが出来た。当時レジデントであった平賀敬己君(平賀医院、広島)は入院患者のLp(a)についての観察から始まって(JAMA 227: 2328, 1992に報告)、Lp(a)が糖尿病患者の冠動脈疾患の危険因子であるという研究へと発展させてくれた(Diabetes Care 18: 241, 1995)。

8.冲中記念成人病研究所に移って

  2003年、虎の門病院を定年退職し、冲中記念成人病研究所に身を置くことにした。小規模な研究所であるが、大きな夢をもって設立された研究所である。現在、研究員の雨宮三千代さんはマクロファージの泡沫化とLPLとについて基礎的研究を行っている。新郷明子さんは糖尿病と認知症の関係について動物実験を行っている。小生は、虎の門病院時代のデータを粛々とまとめているところである。これまでに高Lp(a)血症が冠動脈疾患の危険因子であることを報告し(Metabolism 56: 1187, 2007;Metabolism 57: 791,2008)、脂質異常症では高脂血症III型についての仕事をまとめ(J Clin Lipidol 4: 99, 2010.)、更に、これまでのLPL研究の締めくくりとしてLPL欠損症へテロ接合体について小論文を執筆した(Ann Clin Biochem 51: 294, 2014)。

  2014年3月末をもって、卒後50年の節目に11年間勤めた研究所長を退任し、次世代の研究所の舵取を小林 哲郎氏(元・山梨大学教授)に託した。同年4月からは代表理事の立場で研究所の更なる発展に尽力している。

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