昭和46年4月第18回日本医学会総会の仕事を完了してほっとしている所で、前々から延ばし延ばししていた日経の「私の履歴書」をいよいよ始めなければならないはめになってしまった。この種のものは、自分にとっては色々と思い出のたねとなって無駄ではないが、さて、一般の方々にとってはどんなものであろうか、心配しながらとにかく出来上がってみると、意外な反響もあったようだ。
しかし、やはり私としては面映ゆい気持ちでもある。内容はかなり正確なものとなったが、これは担当の新木萬全記者が私の言葉を一つ一つ各方面で確かめてくれたおかげである。もし読んでいただけるとしたら、私にとって光栄である。